雨漏り診断士よねだのブログ

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雨漏り診断士よねだの生い立ち-1 福生市

私は1973年生まれです。その頃は小平市大沼町に住んでいました。滝山団地の前にお豆腐屋さんがありました。知り合いのお豆腐屋さんでした。そちらに母と兄と遊びに行くとシソの実をかけた真っ白のホカホカご飯を御馳走してくださいました。母は料理があまり上手でなかったので時々御馳走して頂くよそ様のご飯が美味しくてたまりませんでした。

その後は回田町に引っ越しました。回田町に住んでいた頃は鈴木町の”日立の森”に行ってカブトムシやクワガタ虫をとって遊んでいました。小金井カントリークラブにも忍び込んで友達たちといたずらをしていました。今考えるととんでもないことをしていたなぁ、と思います。子どものときは将来のことなどなんにも考えずに虫を採って遊びまわっていました。宿題をした覚えもありません。担任のおじいさん先生に竹定規でお尻をしょっちゅうたたかれていました。本当にバカでした。大けがを何度もしました。

このころ母がチラシ配りの仕事をしていました。私は兄と弟と一緒に手伝いました。遊び半分で母の引く自転車の後ろを付いて回り、ポストに投函して行くのですが、コツが要りました。上手に入れるためにいろいろ試したのを覚えています。この経験は大人になっても役立ちました。独立開業した後にポスティングもしていたので。

10才の時に昭島市の拝島団地に引っ越しました。小平市に住んでいるときは6畳と4.5畳の小さな10坪住宅でしたのですごく喜んでました。昭島の拝島に引っ越してからも遊んでばっかりいました。

すぐ目の前に多摩川が流れていて、田んぼがあって、多摩川の向こうには八王子市の滝山丘陵がありました。小平市は空き地とどぶみたいな川が一本あるだけでしたから拝島団地での暮らしは最高でした。自然の中で虫を採って、鯉を釣って、ザリガニをとって、川で泳いで遊ぶことしか考えていませんでした。ほとんどバカでした。

その頃の拝島団地にはあの”アジャコング”さんが住んでいました。私より幾つか年上でしたから直接お話をしたことはありません。背筋をピシッと伸ばして静かに歩いている人だな、という感じの印象でした。

当時の拝島団地には冬におでん屋さんが現れていました。うちは母子家庭で貧乏でしたので買える具は一番安い”コンブ”だけです。友だちに「よねだはコンブばっか食ってんな」と言われると「う、うんコンブ好きなんだ」という返事をしていました。

夏には多摩川の河原に生えているアカシア類の低木にクワガタやカブトムシがうじゃうじゃいました。そのノコギリクワガタをたくさんとって近所のペットショップに売りに行きました。一匹50円で買い取ったクワガタを500円で売ってる店でした。子どもながらに「なるほど~しょうばいはこうやってやるのかぁ~」と感心したのを覚えています。

小学生まではこんな感じで毎日を過ごしていました。

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